数学者図鑑 その2

「ラグランジュ」
フランス革命の時期、ギロチン台に送られた数学者・科学者も多かったが、このラグランジュは控えめな性格が幸いし、敵も少なかったのでやナポレオンやフランス王妃に気に入られていた。マリーアントワネットの数学教師でもあり、パーティーにもよく招かれていた。
ナポレオンからは「ラグランジュは数理科学にそびえる金字塔だ」として、議員、伯爵などに据え、エジプト遠征にも連れて行ったくらい気に入られていた。ナポレオンはモンジュやフーリエといった数学者もエジプト遠征に同行させていたので、数学者をかなり認めていたことがわかる。
1798年、ナポレオンは5万の軍勢を率いてエジプトに遠征した。その目的は、イギリスの富の源泉を断つこと。つまり、イギリスとインドとの通り道にあるエジプトを抑えることで、イギリスの権益を断つことにあった。
その際、科学・数学好きだったナポレオンは、エジプトの歴史的遺産の記録をつくる目的で、上記のような一流の科学者・技術者167名をエジプトに同行させ、研究させた。

「ドジソン」
“不思議の国のアリス”の著者は誰かと問えば、“ルイス・キャロル”と答える。では、ドジソンを知っている?と聞けば、ほとんどの人は知らないといういうだろう。ルイス・キャロルはペンネームで、実はオックスフォード大学で教鞭をとる数学者だったのです。
当時のビクトリア女王もアリスの愛読者で、「あなたの書いた、他の本も読みたいわ」という要請に、キャロル(ドジソン)は難解な数学書を送ったという。

「ナイチンゲール」
数学者なんです。看護師といてクリミア戦争に赴任したナイチンゲール。彼女は有能な統計学者だった。野戦病院で看護をしていてわかったのは、戦って死ぬ人よりも不衛生による感染症で死亡する兵士のほうがはるかに多いことだった。そのことを憂い、データに弱い議員たちを動かすために、数学で把握し、分析し、死因分析を報告書にまとめ提出をした。当時としては先験的な手法を使いプレゼンテーションし、無味乾燥になりがちな数字を“見える化”することで役人を動かしたのである。
国際統計会議(1860年)にも出席し、それまでバラバラだった各国ごとの統計の調査形式・集計方法などを統一することを提案し、採択されている。ケガや病気、貧しさで困っている人々を助けるために、統計学をツールとして使い国を動かし、社会を変えていったのです。これもまた数学の力だったのです。

「チューリング」
IT創業者の多くが敬愛している近代の天才数学者。ドイツの暗号「エニグマ」を解読し、さらに人工知能の判定基準「チューリング・テスト」などを考案したことで有名。
15歳で学校で習っていない高度な数学の問題を解き、その頃すでにアインシュタインの難解な定理を理解したという頭脳の持ち主。
その後“絶対に破られることはない”とされたエニグマ暗号の解読チームに入り、解読に成功した結果、電文を解読し、ナチスの行動を把握。戦争を早く終わらせることができたとされる。
そもそも、ナチスのエニグマ暗号は、1.59×10の20乗通りの暗号鍵の候補があり、1つの暗号鍵を1分で解いても300兆年かかるもの。こうしたところにも数学者の力が必要だったのだ。
チューリングは青酸カリ中毒で亡くなったが、ベッドにかじりかけのリンゴが落ちていたという。この「かじりリンゴ」がアップル社のマークになったのではないか、という憶測は絶えない。