数学者図鑑 その1

様々な逸話のある数学者を2回にわたってご紹介。

「アルキメデス」
数学バカとでも言いましょうか、数学の問題をふと思い出すと、会話もうわの空で相手のことも忘れてしまうらしく、風呂場で答えが閃いたときわ「ヘウレーカ!(わかったぞ)」と叫び、風呂から飛び出し、素っ裸で街なかを走ったという。死ぬときも数学バカ。敵兵が街になだれ込んで来ている中でも地面に幾何学の図を描いており、熱中していたようで、敵兵に「その円を踏むな」と言って殺されたとか。

「カルダーノ」
占星術を操り、イングランド国王への予言が賞賛され、自分の死亡日を占い、当てた。といっても、死亡日を的中させるために自殺したともいわれている。

「デカルト」
スウェーデン女王の家庭教師として雇われたが、毎朝5~6時に講義することを要求され、その真冬の寒さに順応できずに死亡。

「オイラー」
大天才数学者。晩年は視力を失ったが、悲しむどころか、「おかげで気が散らなくなった。前より数学の研究に打ち込める」と言ったという。こうして口述で子供に数学の研究を伝えて、それを筆記させ論文に仕上げていった。そんなオイラーは桁違いの記憶力と天賦の計算力を誇る。彼は、ウェルギリウス(B.C70年~B.C19年)の叙事詩「アエネーイス」全12巻を若い頃に読み、その後もそらんじていたという。アエネーイスとはトロイの英雄の名前で、ウェルギリウスはこの作品に11年をかけたという、長編の叙事詩である。

そして、計算力。2人の弟子が複雑な級数計算をしていたが、50桁目の計算値が合わなかったのでオイラーに尋ねた。すると、オイラーは素早く頭の中で暗算し、どちらが正しいかを言い当てたという。50桁目まで暗算できる能力に、8桁×8桁の計算もすぐにできたという頭脳の持ち主。
そしてこの人、「数学史上、最多の論文数を量産した」人物でもある。なんと50年間で総計886編、5万ページにのぼり、平均すると、1年間に800ページ以上の論文を書いたことになる。
これの何が凄いって、110年経っても全集が完成しないくらいの論文を残したのですから!

また、「食事です」といわれてから、再度「食事ですよ」と催促されるまでの間に1本書き上げたというエピソードもある!パリアカデミーの優秀賞を12回受賞しており、まさにオイラーの論文は質・量ともに数学史上、最高といってよいだろう。
そんな、数学界の巨星が落つとき、その最期もまた震えるエピソードが・・。1783年9月18日、オイラーは天王星の軌道計算をしていたとき、「死ぬよ」といって息を引き取った。

「ガウス」
オイラーと並び数学界の2大巨人といわれるのが、このガウス。なんとガウス、2歳のとき、父が給料計算をしているのを見て、「お父さん、計算を間違えてるよ」と声を掛けた。もう一度計算してみると、息子の言う通り確かに間違っていたという。ガウスは言う「言葉を話す前に、計算のやり方を知っていた」と。
計算力も凄く、母のドロテアは学校で教育を受けてなかったので息子の誕生日も書けなかったが、「昇天祭の8日前の水曜日」とだけ覚えていた。ガウスはこれだけの情報から自分の誕生日を即座に計算したという!

生存中ですら、「ヨーロッパ一の数学者」といわれていたガウスですが、実は亡くなってからも驚愕の逸話があります。数学的な発見を日記に書きためていたガウス、死後43年経って、遺族の手で初めて日記の内容が発表されたのですが、そこには、後の数学者がガウスよりずっと後になって発見した内容が、すでに発見済みであったことがわかったのです。この日記の発表により、ガウスが遥か遠くの極みに達していたことがわかったのです。
このような偉人であるのに、生活は至って質素で、仕事部屋には小さな仕事机、狭いソファ、ひじ掛け椅子、笠付きのランプ、火の気のない寝室、そまつな食事、部屋着、帽子、これが彼の生活する上で必要な全てであった、という。